プロフィール
日本の陶芸家。
1890年(明治23年)生まれ、1966年(昭和41年)没
島根県安来町に大工棟梁の子として生まれる。松江中学時代に陶工になることを決意。


河井寛次郎は、民芸(柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎)と紹介されていますが、私にとっては大好きな唯一無二の芸術家です。
実際に作品をみると、センスの塊。
釉薬を使っての彩色デザインは、まるで油絵のようです。
陶芸は1200度以上の高温で焼き上げるため、色とりどりの色を出すことはできない中で。
鉄、灰、銅、焼き方などを駆使して赤味や緑などの限られた色を使って、まるでキャンバスに絵を描くように作陶している。
時間かかっただろうなあ、手間かかっただろうなあ、でも楽しかっただろうなあ、と思わずにはいられない。
陶芸は、花器や器など、花や料理などを入れたりのせたりと自分が主役ではないいわば、何かのために役に立つ物。(そこが好きですが)
その枠の中で、形、色、素材の美しさを追求した方が河井寛次郎さん。
京都にある河井寛次郎記念館は、かつて寛次郎さんが暮らし作陶していた家だそうです。
1937年(昭和12年)47歳の時に建てられたということなので、築約88年くらい。(2025年現在)
一歩中へ入ると、シンとした和の佇まい。
なんて素敵な家兼アトリエなんだろう!
昭和12年という年は、日中戦争勃発と日本が戦争に突き進んでいった時代。
自然と平和を愛していたであろう寛次郎さんは、何を思って過ごしていたのだろう。
戦争終結その日に書いた寛次郎さんの日記には
「万事休ス、出直シ」
翌日には
「仕事ハコレカラ也 新シキ希望燃エル也 コレ迄ノ仕事 コレカラ愈々世界ヲ相手二ヤッテ行ケル也」
と書いている。(「河井寛次郎の宇」」から抜粋)
なるほどそれからの作風は、個性的でおもしろい無定形なアート作品と進んでいく。
ピカソの後半の陶芸作品の様に、まるで作品が生き物のよう。
寛次郎さん亡き今、真夜中人間どもが寝静まったあとにこれらの作品たちは動きだしてきてワイワイガヤガヤ酒盛りをしていそう。
会ってみたかった人、河井寛次郎さん。
次回は、河井寛次郎記念館を紹介します。