ふと疑問を感じた事がある。
それは、なぜ乾山は陶芸に関係のない家に生れているのに、陶芸家になったのだろう。
という点。
乾山は、京の大きな呉服商の三男の生まれである。
兄に有名な画家の光琳がいるので芸術が身近にあったと思うが、なぜ陶芸の道に進んだのか。
乾山の生まれ育った場所や出会った人を考えると。
その当時の京の東山界隈は、粟田口焼、八坂焼、清閑寺焼などがある焼物の盛んな土地。
そして乾山より27才上である仁清という、有名な陶芸家が活躍していた時代。
なおかつ乾山は、この仁清から陶芸を学んだと伝えられている。
そして何度も言うように、兄はあの画家光琳。
すごすぎる環境。
人間若い時に、尊敬できる大人や物に出会った時、自分の進む道を決める事はあると思う。
乾山は京で陶芸を始め、69才で江戸の入谷に移り住み81才で没した。
「独身を貫き、身寄りのない他界であった。」
と言う人もいるが、私はそうは思わない。
やりたいことをやりきって、満足だった人生に違いない。
なぜなら没後282年たった今でも、残した作品たちは多くの人に愛されているのだから。


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