埼玉県新座市にて陶芸教室を運営しています


松島宏明 Hiroaki Matusima


松島宏明は、明治31年に石川県の南西部にある若杉町という所で生れた。
九谷焼が盛んだった江戸時代は、原石の積み出しで賑わい若杉窯が栄えた所。

左 魯山人 右 松島宏明


宏明の父、小太郎も陶工でした。
若杉の近くにあった小松城は、加賀三代藩主前田利常の隠居城となり加賀友禅、加賀時絵、大樋焼(おひやき)、寒稚の窯(かんちのかま)、九谷焼などの工芸が花開いた所。
宏明は小学校の学業の成績は優秀で、小学校の校長先生がわざわざ家庭訪問されて中学校へ進学させるようにと勧めてくれたという。
この時、父の小太郎は、
「文智(宏明の幼少名)は私の後継者になれる人間だ。陶工に雑念はいらない。むしろ1年でも早く技術を覚える事だ。焼物で飯が食えるようになるには少なくとも10年、名工といわれるには20年から40年の経験が必要だ。」
と中学校の進学を諦めさせたという。
そして小太郎は自分が働いていた魯山人の星岡窯に、宏明を呼び寄せた。
この時、宏明29才であった。
魯山人にはずいぶん暴言を吐かれたりと、我慢があったという。
約30年、魯山人の作品のろくろをひき続けた。
そして宏明59才の時に魯山人の元を去り、下中弥三郎の窯に移る。


宏明が晩年仕えた下中弥三郎という人物は、出版界の巨人、平凡社の創業者である。
下中家はもともと陶業家で、弥三郎は子供の頃から陶芸をしていたという。
事業で成功した下中弥三郎は晩年陶芸をやりたくなり、窯を開きそこに松島宏明を呼び寄せた。
下中弥三郎の人柄は、昭和29年に発足した「ほめよう運動」の会長とあって、穏やかな人だったようです。
魯山人の元を去ってからようやく宏明自身としての作品を作り、宏明作品愛好家に恵まれたという。
宏明84才、老衰にて自宅で逝去。



魯山人に尽くした松島宏明という陶工がいた、ということを多くの人に知ってほしいなと思う。

参照 「魯山人と影の名工 陶工松島宏明の生涯」


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