熊谷守一は、明治時代に生れた日本の画家です。

この自画像は大学の卒業制作の時の作品です。
24才で、すでに絵の基本は完成している。

そして作品はどんどん、色と面でとらえる画風になっていく。
もう次元が違う。
ちなみに守一さんは、アンディ・ウォーホールより48年前に生れているんです。(この絵をみた時なぜか、アンディ・ウォーホールを思い出したので)
1880年(明治13年)岐阜で生れた守一は17才で岐阜の名士だった父に「画家になりたい」と告げたところ、「慶應義塾に1学期真面目に通ったら好きなことをしても良い。」と言われ、その通り1学期間だけ通って中退し、1900年東京美術学校に入学する。
父はどう思ったのだろう。
守一さんは、絵を描くのがとにかくとにかく、好きだったんだと思う。
その他は何もいらなかったんだと思う。
現に、奥様と5人の子供たちはとても貧乏な生活を強いられたようです。
1967年87才の時に「これ以上人が来てくれては困る」と文化勲章の内示を辞退。
1972年の勲三等叙勲も辞退している事から、守一さんの人柄がじんわり伝わってきます。
晩年は自宅に引きこもり、自然や鳥、虫などを多く描いています。


1964年パリにて個展をした時は、「鬼百合に揚羽蝶」の絵をポスターにしています。
この時のパリの主催者は「ヨーロッパ的なものの見方(デッサン力)がある上に、東洋的な空間感を持っているから、我々は追いつけない」と脱帽したそうです。(別冊太陽 気ままに絵のみち 熊谷守一 抜粋)

守一さんが住んでいた場所に、次女で画家のかやさんが「熊谷守一美術館」を創設しています。
97年の生涯は、明治、大正、昭和と関東大震災や第二次世界大戦を生ききった人生でした。