北大路魯山人は明治16(1883)年 賀茂別雷神社の社家の次男として生まれる。
生れる前に父が自死、一家離散、生れてすぐ他家に点々と預けられるがひどい虐待にあったという。
12才の時に画家になりたいと思う。
賞金稼ぎのため「一字書き」で収入を得る。
魯山人は、生まれながらの芸術的才能があった人に思う。
作品は、書、陶芸、料理、漆物、と素材は多岐に渡り、すばらしくセンスが良い。





魯山人の作品はすばらしいが人となりはいろいろ問題の多い人だったようで、養育義務を果たしていない子供たちも多くいたようです。
他人にも辛辣な意見ばかりでしたが、唯一 尾形乾山のことをほめている文章があり、驚いた。
「乾山は実際書が旨い。旨いと云うのもよいが、味が有ると云いたい。実際人間味が優雅な美しさの中に充実している。」
なるほど魯山人の作品は、乾山作品を模倣しているものが多い。
魯山人が唯一認めていた陶芸家は、乾山だったのではなかろうか。
